羽生九段が教えてくれたこと
“英語主義“ブログを訪問してくださってありがとうございます。“母”が書きます。
前回の記事で我が家の子どもたちは小さい頃に将棋を習っていたとお伝えしましたが、一時期はかなり熱中し教室や道場に頻繁に通ったものでした。
将棋は対局を重ねるとその教室等の規定で級や段が上がって行くので楽しかったり、でもここぞという大切な一局を落としてしまって大ショックだったり、子どもながらにして勝負事の厳しさを存分に学ぶことができます(笑)。
今をときめく藤井聡太さんはコンピュータが6億手読んで見つける最適手を指すことができるとか。しかし、ここまで将棋界を牽引して来た第一人者である羽生善治九段の残して来た実績にはまだまだ敵わないのでは、と思う私は将棋棋士の人々のことにはすっかり詳しくなったものの、駒の動きさえも未だにうろ覚えなおばさんだったりします。
そんな羽生さんが以前に、人間の素晴らしさは読まなくてもいい手は読まない、考えないようにできるところだ、というようなことをおっしゃっていました。いわゆる大局観ですね。
私たちも長年生きていると、人生は嬉しいことなんてほんの少しだけで悲しいことの方がずっと多いんだ、ということが身にしみてわかって来ます。
受験も勝負事でもあり、全員が良い結果を受け取ることはできません。でも、その時々での最善手を必死に考え、考えても致し方のないは考え過ぎない。そのように対処することが大切なのかもしれないと今では思うようになりました。
そう言えば以前にある大会で羽生九段が優勝された時に、握手をしていただいたことがありました。羽生さんの手は柔らかくて、とても温かったことを覚えています。
読んでくださった方のご参考になりますように。
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